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好奇心旺盛だから、内容は支離滅裂。

by covaemon

「いじめ自殺」で思うこと。

この問題でニュースやワイドショーはかなりの時間をとっている。
学校だけでなく、教育委員会や、文部科学省も、自殺した生徒の家に行っていた。

怒りをぶちまけている父親が映っていたが、もっともだろう。
でも、そんな場面に、マスコミを入れてはいけないのだ。
そして、怒っていけない。
彼らは、ただただ、頭を下げるだけなのだから。

マスコミで報道されるのがわかっているのだから、ただただ、謝るl姿をさらしておけばいいとおもっているのだろうから。
それで、怒ってもなにも起こらないし、はじまらない。

もちろん、父親の怒りはぼくでは想像のしようがない。
もう、気が狂わんばかりに、怒りわめきちらしても仕方ないことであると思う。
でも、あんな場面ではそれをしてはいけない。

マスコミは絶対に遮断して、どこかに隠しカメラでも仕込んでおいて自由にしゃべらせるべきだ。

しかし、子供っていったいなんなんであろうか。
ぼくは親になることを放棄した人間であるから、なにも言う資格がないのかもしれない。
しかし、子供であった時代は確かに存在した。

ぼくの時代もいじめはあった。
いじめられもしたし、いじめたりもした。
でも、子供にはそんなことは絶対的にあるのだ。

でも、それで、自殺をしなければいけないようないじめってどういうことだろうか。
ほんとにどんないじめをされていたのかが、ぼくらにはわからない。
だから、軽々しいことは言えない。
でもだ、それで、自殺してしまうなんて、よほど想像もつかないようなとんでもないいじめを受けていたのか。

それとも、自殺した生徒は、簡単に自殺を選んでしまったのか。
いや、そういう言い方は正しくないかもしれない。自殺しかない状態に追い込まれてしまったのだろうか。

では、そこまで追い込んだのは誰か。

いじめたやつら。
教師。
学校。
行政。
親。
本人。

考えられるのはこれぐらいか。

ぼくは、常々言っているが、学校は嫌いだし、教師は大嫌いだ。
学校なんて信じないし、教師なんて絶対に信じない。
教育委員会はもっとひどい。何も考えてないし、何も出来ない。

自殺した生徒は、ぼくといっしょで学校や教師では自分が受けているいじめはどうすることも出来ないと思ったのかもしれない。だから、相談することもしなかった。ありうることだろうと思う。

ならば親はどうなのか。
親には自分がいじめられているなんてことを知られるのが嫌だったのかもしれない。
だから、悟られないようにしていたのだろう。

そこで、疑問が出てくる。
親はなにも知らなかったのだろうか。
自分の子供がいじめられているとは思ってなかったのだろうか。

時々、いじめられていることを知って学校や教育委員会に訴えたという報道をきくことがある。
こういうことは、稀なんだろうか。

親にはやっぱりわからないことなんだろうか。
親は、自分の子供がいじめられているってことを見抜かなければいけなかったのではないのだろうか。

もちろん、子供が自殺してしまった親は自分のことを責めていることであろう。
でも、彼は自殺してしまうような子供に育ててしまったのだ。

いじめられるような子供って意味ではない。
そのような時に自殺しか考えられないような子供にしてしまったのではないだろうか。

学校や、教師なんて信じられないのだから、親が見ていなければならなかったのではないだろうか。
いじめや自殺を防ぐために、学校や、教師はなにもできないのだ。

ただ、怒っている親は、自殺してしまってからの学校や行政や教師の対応の仕方に怒っているのであれば、当然だと思う。

しかし、最終的に自殺を選んでしまった子供の親の責任はものすごく大きいと思うのだが、違うのだろうか。
by covaemon | 2006-10-20 15:10 | ひとりごと | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from じっと、ずっと思う at 2006-10-21 14:39
タイトル : 私は「いじめ」が分からない
 ひところはあまり話題にならなかったが、最近は再び「いじめ」が社会問題視されている。自殺者まで出て、学校や地域の教育委員会の責任問題の話にもなっている。この問題が深刻であるのは理解出来るが、正直言って「いじめ」をめぐる問題意識がよく分からないのである。  ある生徒が「いじめ」にあっていたとすると、それに対して、「いじめる側」の生徒と監督者である教師や学校が非難を浴びている、というのがおおよその構図だろう。それは形式としては正しいのかも知れない。しかし、実際の問題解決の方法としてそれでよいのだろうか。...... more
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